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【Sori Sawada】「いい音楽」の定義とは

06|Sori Sawada

 

 

「risou」という名で投稿した楽曲が徐々に広まりつつある人気ボカロP「Sori Swada」。

世間では米津玄師に継ぐ存在、ボカロ界の「back number」とも言われているらしいが、そんなのどうでもよいことで。

そもそも「いい音楽」とはどんな音楽かを、『三年間』という歌に交えながら言葉にしてみたので共感してもらえたら嬉しい。

『三年間』の中の男女は果たして幸せか

「いい音楽」について話す前に、この歌の男女について少し書かせてほしい。

『三年間』の歌の中の男女は幸せなのか。わたしはそんなことないと思う。

この2人はそれぞれにもっと幸せにしてくれる人が存在するけど、幸せとかそんなのどうでもよくて、ただ一緒にいたいんだろうなって思う。

幸せしかない2人だったら曲の最初にこんな歌詞もってこない。

「もしかして、私はお荷物でしょうか。今、ご機嫌取りをされてますか。負担になっていましたか。少し重かったですか。」

最初から「重荷ですか」なんてちょっと濁っているから、幸せなんてどうでもいいものだと思えるのではないか。不安のような汚れがちょっとあるくらいの毎日の方がきっと居心地がいいのだと思う。

メロディーに包まれた歌詞が、そう教えてくれている気がする。

タイトルの話に戻すが、これこそが「いい音楽」だと思う。

きっと意味が伝わっていないと思うから、もうちょっと詳しく説明させてほしい。

いい音楽の定義について

 

聴いたあとに音だけではなくて、歌詞も残ったらもうそれは音楽の勝ちだ。

子供のままじゃ知らない幸せの形が あることがとても嬉しいんだよ。

この歌詞を忘れられるだろうか。わたしには無理だった。ここだけ浮き出て聴こえるくらい残った。

”大人”になることに抵抗感を誰しも隠し持っていると思うけど、このたった1つの歌詞で「いいものかもしれない」と思えた。大人になることは切ないだけじゃなくて、新しい感情の形を知ることなのかもしれない。

「いい音楽」の答えは、”音だけではなくて、その音に乗った歌詞が自分に何かを与えてくれるか”だと私は思う。

メロディーに歌詞が潰されて、なにも残してくれない音楽は世の中に意外と多い気がする。だけどSori Sawadaさんのメロディーは、潰すどころか歌詞を生かすためだけに存在していると思う。

いつもみたいに聞いてほしいんだよ。くっだらなくて死んでしまうような話を

「死」は重い言葉だけど、『三年間』の歌の中の”死”の表現は鋭くない、むしろ暖かい。聴くたび、「死んでしまうような」のところで不思議な暖かさに感動する。これはメロディーあってのことだ。

だからやっぱり、メロディーが歌詞を殺していない音楽。歌詞が何かを残してくれる音楽は、間違いなく「いい音楽」だと思う。

なにがいい音楽かなんて人それぞれだと思うけど、これがわたしが思う「いい音楽」の定義の1つだ。

読んでいただきありがとうございました。

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