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ヨルシカ のアルバム『だから僕は音楽を辞めた』を考察してみた。

2019年4月10日にヨルシカの3rdアルバム『だから僕は音楽を辞めた』がリリースされた。このアルバムは主人公である”僕”と”エルマ”とい女の子を中心に音楽家である”僕”が音楽をやめるまでが14曲を通して描かれているコンセプトアルバムである。

今回の記事は、エルマという女性を音楽にする”僕”が主人公であるコンセプトアルバム『だから僕は音楽を辞めた』の個人的な解釈や時間と共に変わりゆく”僕”の気持ちについて、言葉を残した。

ヨルシカを大切に思う人にこそ、ゆっくりと楽しんでもらえたら嬉しいです。

曲順と”僕”の気持ちの時間軸は逆である。

アルバムの日付曲の順番が真逆なのは、旅に出た”僕”がエルマに読んでほしい順番に手紙を箱に入れていったからだそう。

だから”僕”の気持ちとアルバムの進み方は真逆であって、わたしは”僕”の気持ちが知りたくて日付順に曲を聴いていくことにした。

この画像には、右は日付順にアルバム曲を並べ替えたもの、左の枠には僕の気持ちの変化を簡単に記した。

このアルバムは、大切なエルマへの想いと”僕”自身の劣等感やもどかしさがじんわりと伝わってきて悲しい作品だけれど、それを代償とした美しい音楽がたくさん詰まったアルバムでもある。

消えかかりそうな愛を保ちつつも、自身を潰してしまうほどの鬱屈さが増えていく”僕”が主人公のアルバム『だから僕は音楽をやめた』を今回はこの画像のように月ごとに区切って、”僕”の気持ちの変化について見ていきたい。

(➡︎日付順に曲を聴けるように並べ替えたプレイリストを作成したので、実際に曲を聴きながら読み進めてもらうのがオススメです、よろしければぜひ!)

 

4/10  「エルマへの純粋無垢な想いだけだった」

日付曲にはそれぞれ楽器的な音楽要素以外のものが必ず入っていて、”僕”の居場所のヒントとなる。旅の始まりの日である「4/10」は足音。これはまず「パレード」のMV中の部屋へ向かっている音ではないだろうか。曲中の不自然に止まるピアノ、それからの数秒間の間は”僕”が部屋へ着いた合図で、これから夏までの4ヶ月間、エルマに捧ぐ音楽を作り始める切ない物語が始まる知らせでもある。

「エルマ」の歌詞にでてくる「朝日の差す木漏れ日、僕とエルマ」や「椅子にでもまた座ろう」から、「パレード」に映るこの部屋では、2人が一緒に過ごしていたのだろう。部屋に着いて”僕”から生まれた最初の曲が『エルマ』なんて、本当ロマンチックだ。


曲名:パレード|ヨルシカ 

 

今回のアルバムには「指先」という言葉が多用されていたり、「歌」を「詩」と表記しているからエルマはきっと作詞家で、音楽を作る”僕”は、エルマのことを本当に尊敬していたのだろう。

エルマから言葉ができる瞬間を”僕”は知りたいと純粋に思っている。もう会えないエルマを何年経っても忘れたくない。ただひたむきにエルマを想っている春、”僕”の気持ちにまだ濁りはなく純粋無垢そのものだった。

そうして”僕”はこのエルマがいなくなった部屋で1人、エルマの詩を真似る日々をただ過ごす。あっという間に春が終わり、”僕”は相変わらず1人で初夏を迎える。

5/6 「エルマへの寂しさと”僕”への小さなもどかしさ」

 

旅に出て、1ヶ月が経った。「5/6」は雨音がするから”僕”はまだ、じめじめした「パレード」の部屋にいるのだろう。初夏になるとエルマへ尊敬の意しかなかった”僕”の中には、自身へ向けた鬱屈やもどかしさが少しづつ生まれる。

「夜紛い」はアートとしての音楽に対する否定的な考えが生まれ始めたことを示し、「五月は花緑青の窓辺から」ではエルマとの思い出が少しづつ薄くなっていくことを表す。「六月は雨上がりの街を書く」では、この手紙を読んだエルマの顔が見たくなってしまう”僕”だけど、文字を書いても書いても満たされない。

そして、”僕”が壊れ始めたことを表現する決定的な曲は「踊ろうぜ」だ。”僕”が大好きな音楽という道を選んだあの日を後悔してしまうのだから。全てどうでもいいから好きな人と踊ろうなんて”僕”は本当に芸術思考であり、ロマンチストな人間だ。同曲中で「灰になったから」と歌っている通り、エルマは昔に亡くなってしまっていたのだろう。最愛の人にもう会えないことを「風になったのさ」なんて描く”僕”は十二分な音楽家であるはずだが、音楽とエルマという大切なもの全てが歪み始めることにこの頃から耐えられなくなっていたのかもしれない。

じめじめした時期を乗り越え、いよいよ本格的な夏がやってくる。

7/13 「”僕”にとってのロックンロールはどこかへ消える」

 

 

「7/13」はこれまでのインストと比べると現代チックだ。これは曲中でも「売れる音楽」と何度も言っている通り、芸術としての音楽はエンタメやビジネスとしての音楽に変わりつつあることを表しているのだろう。


曲名:藍二乗|ヨルシカ 

 

「7/13」で聴こえる波の音、「詩書きとコーヒー」の「少し大きくなったこの部屋で」とあるように「藍二乗」のMVの部屋へと”僕”の曲作りの舞台は変わったのだと思う。MV中の0:13〜写る埃かかった違和感のある椅子は「パレード」の部屋からエルマとの思い出として持ち出したのだろうか。

エルマや音楽だけではなく全てのものがわからなくなってしまった「詩書きとコーヒー」、大好きなエルマを売れる音楽に変換してしまう”僕”が許せない「八月、某、月明かり」。エルマが足りないと叫ぶ「藍二乗」。

精神がすり減っていても、「君だけが僕の音楽なんだ」とエルマだけを描く”僕”の音楽は、相変わらずロマンチックだが、同時に終わりが近くにつれてとても苦しそうだ。なのに誰も”僕”を救えない、そして唯一”僕”を救えるエルマはもういない。きっとエルマがいたからこそ、”僕”の音楽はいつも美しく聴こえるのだろう。

そして”僕”の中には鬱屈さが十分に生まれ、長かった旅も終わりが近く。

8/31 「”僕”は音楽を辞めた」


かったエルマへの想いを歌にする旅も、そして”僕”の音楽人生も、夏と一緒に終わる。「8/31」の最後の低くて重たい1音がこれまでの全てではないだろうか。


曲名:だから僕は音楽を辞めた|ヨルシカ 

 

これまでの13曲で語られたエルマと音楽への想いの末、「だから僕は、こんな思いで、音楽を辞めたんだよ」と最後に自分の気持ちをまとめ、エルマに話しているような。これまでの収録曲のアンサーソングとして、最後に”僕”から鳴る曲がこの『だから僕は音楽を辞めた』だ。

売れる。評価される。そんなことは、どうでもよかった”僕”だった。

そのはずなのに、エルマへの音楽はいつの間にか大衆への音楽と化けていった。売れること、評価されることが大切になってしまっていたのだ。

”僕”が音楽をやる理由であるエルマへの気持ちは純度の高いものだった。綺麗だったのだ、本当に。だが時間が経つにつれ、”僕”にとっての音楽は濁ってゆき、エルマの存在すらもおびやかしていった。エルマに対して愛とか恋とか理屈ではない醜い感情だけがどんどん増えていく。”僕”自身の気持ちに”僕”が追いつけなかったのかもしれない。

最愛の人へ贈る歌を立派な芸術家に苦しそうに歌わせてしまったのは、金儲けばかり考える世間のせいだろうか。そうであったとしても、エルマのための人生、エルマのための音楽と音楽を全うした”僕”は音楽家として本当に切なくて、痛いほどに最後まで美しかったと思う。

『だから僕は音楽を辞めた』を聴いてみて。

”僕”の最初の歩みの音が聴こえる「4/10」から始まり、8/31に僕”がこの夏とエルマとの思い出と共に音楽を辞めるまでが描かれたヨルシカ3枚目のアルバム『だから僕は音楽を辞めた』。

全14曲の壮大なラブソングの中には、尊敬や愛しさ、最後は妬みから歪みなどエルマへの相反する気持ちと音楽家である”僕”に対する劣等感がひたすら詰まっていた。

全曲聴き終えて思うが、”僕”は本当に矛盾している存在だやめたいと思うほど音楽に苦しめられた”僕”なのに、エルマと現実とそして自身に挟まれながらも14曲の最高の音楽をつくりあげた。街並みが綺麗なストックホルムという場所でつくられた音楽は、鬱屈で愚直で混沌としているのだ。

この先の”僕”はまだわからないが、音楽をやめてしまった”僕”にとっての賛美歌は、いつまでもロックンロールであってほしい。

夏にリリースされる続編となるアルバム、『エルマ』もどんなアルバムになるのか今からとても、とても楽しみにしている。

長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

➡︎『だから僕は音楽を辞めた』がもっと楽しくなるインタビュー記事まとめ

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あき
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